人生がつまらない、楽しくないと感じるとき

人生がつまらない、楽しくないと感じるときってありますよね。
毎日が同じことの繰り返しだったり、やりたくないことの連鎖だったり。

自分の中で面白いな、楽しいなと感じたことが
自分の中にふと湧き上がってきた感動に従ってみる。
論理より感情を取ってみる。
ということです。

いつも私たちは論理や頭で計画したことをやろうと思って生きています。
でも自分自身が考えたことなんて意外とたいしたことないんです。
そうじゃなくて自分の中の英知、神が考えたことっていうのは
ふと、ふいに、頭の中でぽっと沸き起こるような、小さなともし火のような
ほんとごく小さな感覚です。大きく感動として受け取れる場合もありますが
自分の気持ちがワクワクしていて、安心していて、満たされていると出てきます。
その感動やふとした気持ち、ぽっと沸き起こったやりたいことを行動することで
自分の本当の満たしに繋がることがあります。
それは自分が怖くてやりたくないことかもしれない
でも本当の心のうちではやりたかったことかもしれない

そういう小さな本心、小さな感動に従っていくことで
自分の人生がだんだんと満たされて、面白くて、楽しくなってきます。
でもこの連鎖を起こすためにはまず満たされることが重要なのです。
だから先にしたいこと、好きなことをやってみる。
そして満たされたら、どんどん小さな感動や本当の思いに気づけるようになる
そうしたらどんどん満たしの連鎖が起こっていく。

この世の中は拡大と成長だけが起こっています。
いい思いを撒けばいい結果が返ってきて、悪い思いを撒けば悪い結果が返ってくるんです。
だからつまらない、楽しくないと感じたらそのような結果が待っていて、悪いループが続きます。
やりたいことをしよう、好きなことをしようと考えて動くことでよい結果のループが続くのです。

だからあなたの考えたことは現実化するのです。
自分が何を考えているのかに注目し、考えを変えたり行動を変えたりすることによって
良いループを巻き起こしていきましょう。

心が苦しい時に問題を解決するための一番大事な価値観

今日は皆さんが聞いても恐らくわからない話をします。
わからなくても大丈夫ですので最後まで聞いてください。

実践して初めてわかる霊の世界の話をします。
なので実践したいと思ったら実践して下さい。そうすればわかります。
価値観が大事だという話をします。
まず現実の問題を全て解決したいと思ったときに一人では無理だという話をします。

人は知識や知恵、経験を網羅していません。網羅もできません。だからどうしても人との協力や人から教えをこうことが必要です。
人には多くの人々との連携が必要で世界は繋がっており連れ合いが必要だということです。
これは霊界でも同じです。自分の霊は一人では何もできません。神様という連れ合いがなければ自分の霊的な問題を解決することができません。

肉体の問題は肉体で解決します。心の問題は心で解決します。霊的な問題は霊的に解決します。
しかし、肉体と心と霊には階級・次元が存在します。霊、心、肉体の順番で上が下を治めることができます。
なので大事な価値観として優先順位を間違えてはいけないということです。
霊的な問題を先に解決することにより、階級・次元が低い、心と肉の問題は勝手に解決します。
心の問題を解決することにより肉体の問題が解決するのと同じで、霊的な問題を解決することによっても心と肉体の問題は自動的に解決します。

これは心が楽になる、肉体が楽になるという話もあります。肉体の世界は一番スピードが遅い世界なので実現するのが非常に遅いです。心と霊の世界は光のような速度で一瞬なので実現スピードが早いです。
肉体の問題というのは経済的問題、恋愛の問題、健康の問題などさまざまです。心の問題もさまざまです。
ただこの世的に肉と心だけ解決しようとすると解決できません。上位の霊的な問題が解決されていないからです。

霊的な問題を先に解決するとき、心が一瞬で楽になり、と肉体の問題は実現スピードが遅いのですぐに解決しないとしても、心が楽になることによって肉体の行動が変わり、肉体も少しずつ治っていきます。
だから優先順位となるための価値観という部分が非常に大切だということです。霊・心・肉のどれを一番に思っているかが大切だということです。

ちなみに私は今まで仕事が一番だと思っていました。でもそれではいけないと思いました。神様・霊を一番に考えることこそ、全ての問題が解決される早道だということがわかりました。
では霊的な問題はどうやって解決するのでしょうか。どうやって私が早道だということがわかったのでしょうか。
それは日々私が申し上げている、祈り、つまり霊界とのコンタクトを試みることによって解決します。
祈り、霊界とのコンタクトとは何か、それは現実世界のやり方と同じです。

現実世界で人とコンタクトするときには言葉が必要です。言葉を通して人とやり取りします。
話したり、文章を書いたりすることです。
それは霊界でも変わりません。霊界の存在や神様に対して、話したり、文章を書いたりして届けることです。
あなたが神様に対して話をしたり、文章を書いたりするとあなたについている天使が神様へそのメッセージを届けてくれます。
そしてそのメッセージが神様に届くと神様はあなたに相応しいタイミングであなたの願いに応えてくれたり、質問に答えてくれます。

神様があなたの質問に答える方法はさまざまです。
万物を通して、人を通して、あなたの頭の中を通して、さまざまな方法で質問に答えます。
また、しるし、奇跡のような方法で現実を変えてくれることもあります。
人間の考えでは到底及びもしなかった方法で現実が変わる現象が起こることがあります。

もちろん科学が進歩すればそれも解明できることでしょうがこの世の科学では分かっていないことのほうが多く
人間には理解できないことが多いためにそれを奇跡やしるしとして考えてしまうこともあるかと思いますが
私たちには到底理解できない力がこの世には働いていて運行されている神的な存在がいることは知っておきましょう。
万物を動かし主管しているのは誰かということです。神でもあり、人間でもあるのです。

今日のまとめですが、核心は優先順位を履き違えるなということが伝えたかったのです。優先順位は霊であり、神であるということです。
そうすれば心と肉体の問題はすぐに解決します。
あなたの全ての問題が解決されることを願っています。

恐れを感じた時の対処法

恐れを感じたら文章に書いてみる。
自分の考えが客観的に見て本当か疑ってみる。
壮絶な勘違い、思い違い、過去のトラウマ
間違った情報で自分のメンタルが
ブロックされてしまっていないか考える。
メリットとデメリットを書き出してみる。

好きなことがわからない理由

嫌なことの割合が多い。嫌なことを減らす。好きなことをやる時間を1秒でも長く増やす。朝起きた瞬間計画に好きを入れる。自分に嘘をつかず本音で正直に生きる。責任を放り出す。

「自由に生きる」「自由に生きたい」と思ったら先に本当の自由とは何かを考えよう

自由に生きる!自由に生きたい!と誰しも思うものですが
それで皆さん会社をやめたり、起業されたり、専業主婦になったりすると思うのですが
本当の自由というのを知っていないとあなたは自由になれないことを知っておかなければなりません。

自由の定義を履き違えたり、偽りの自由を手に入れると、常にその環境から逃れたいと思うようになります。
今回は私が自由にならなかった事例も踏まえて自由になるための考え方をお伝えしていきます。

会社や仕事を辞めても自由にならない失敗例

超忙しい会社や仕事を辞めても自由にならないのは
それで貯金がなくなったり、金銭的に苦しむ人が出てくるからです。

また、何もすることがないので、遊ぶばかりでは
どうしても発展がなくて飽きてきます。

転職しても自由にならない失敗例

転職をしても自由にならないのは
転職をしたとしてもその業種に憧れを持っていたけれども
実際にやってみたらイメージと違ったと思うこともありますし

転職先が忙しすぎたり、自分とは適正や人間関係が合わなかったり
色々なケースがあります。

起業しても自由にはならない失敗例

起業しても自由になれないのは
その仕事が全然自分と合わなかったとか、稼げるだけで選んでしまったとか
常に銀行から借金をし続ける必要のあるビジネスを選んだとか
色々なケースがあります。

人に会わなくなっても自由にはならない

人に会わなくなっても自由になれないのは
どうしても何かをしようとするときには人間関係が必要になりますし
ずっと一人で居続けるとどうしても人生がつまらなくもなってきます。
人との交流を避け続けていると発展もあまりなく自由であっても退屈してしまいます。

本当の自由とは

私は仕事という面でいうならばあなたにあった適職ややりがいのあるものを見つけて
それで他者に貢献しながらお金をいただくことが真の自由だと思っています。
それが起業でも就職でも子育てでも家事でも構わないのです。
子育てや家事の場合は実質的に旦那さんに貢献して、旦那さんが会社に貢献して稼いでいるのです。

子どものころは遊んでいる時間はある程度自由だったわけですが
大人になると生活をしていかなければならないので
他者に貢献してお金をいただくという工程が必要となってきます。

聖書を読むと
「真の自由とは真理の中の自由である」
と書いています。

つまり、人間関係や性格、やっている行い、仕事が
この世界や人間の真理にあう、世の中で言う正しいではなく
(世の中でいう正しいは間違っていることが多いため)
天から見たときに正しいと思われることをしているときに
真の自由を得られるという意味です。

つまり、いくら会社をやめて、転職して、起業したり、結婚したりして
経済的自由、環境的自由、時間的自由、社会的自由を得たとしても
自分が自由になった後にやる行いが
真に心が満たされないのであればそれは真の意味での自由ではないということです。
お金持ちで、働かなくて良くて、時間の制約もない状態が自由ではないということです。

人間は何かをしなければ喜びや生きがいを感じることができません。
いつも受身でサービスを受けるだけの状態だと享受できるものは一部です。
本当に得られるものは行ったときに得られる喜びのほうが大きいです。

本当に生きていて幸せだ、生きがいがあると感じる行いをしてこそ
それが真理の中で正しく生きている前提のときに
その人は真の自由を手にしているといえます。